宇都宮城の歴史「日光社参と宇都宮城(5)」

日光社参は、14万人もの大行列が移動するので、宿泊の割り振りも大仕事でした。宿割り専門の役人が任命され、たびたび道筋の調査に向かっています。

また、沿道の町や村では、すべての家屋の広さや間取りを図面にして提出するなど、徹底した調査が行われました。
それをもとに、お供の人々の宿割りが決められたのです。

老中・水野忠邦(ただくに)も日光に足を運び、詳細な下見をしています。儀式の動作を詳しく予行したほか、老中みずからが、石段の苔(こけ)を掃除することまで指示をしたそうです。

沿道の庶民に対してはお触れが出され、社参行列の迎え方として、家では女性や子どもは軒下で、男性は土間で平伏(へいふく)するように命じ、道端では並木より5〜6間下がって女性を前に、男性を後ろにして土下座するように、と詳細な指示を出しています。

天保(てんぽう)14年になり社参が目前になると、留守居役(るすいやく)の任命、行列の予行などが続けざまに行われ、先発の大名が出発しました。

(「広報うつのみや」より抜粋)
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