宇都宮城の歴史「日光社参と宇都宮城(4)」

日光社参は、重要な行事なので準備も念入りです。
3月には幕府の役人が道の安全確認のため派遣され、危険箇所がないか巡視しています。

また、将軍に同行する家来たちの人選と編成が次々と発表されました。

将軍の宿城には前例通り、岩槻・古河・宇都宮の各城があてられることに決まり、岩槻城主・大岡忠固(ただかた)、古河城主・土井利位(としつら)、そして宇都宮城主・戸田 忠温(ただはる)は早速自分の城に戻って準備をはじめています。5月には、将軍宿所の準備金として、岩槻城には3千両、古河城と宇都宮城にはそれぞれ5千両が幕府から交付されています。

主に将軍の泊まる「御成御殿」の整備などに使用されたものと思われます。

利根川を渡る「房川(ぼうせん)の渡し」(埼玉県栗橋町と茨城県古河市の境付近)には50艘以上の船を並べて臨時の船橋をかけました。

その工事は3年以上の年月がかかったそうですが、日光社参が終われば取り壊してしまうものです。

(「広報うつのみや」より抜粋)
<< 宇都宮城の歴史 その5へ
宇都宮城の歴史 その7へ >>