宇都宮城の歴史「日光社参と宇都宮城(3)」

日光社参の状況を、最後の社参となった天保14年(1843年)の十二代 将軍徳川家慶(いえよし)
の例で見てみましょう。

この社参は、安永5年(1776年)の家治(いえはる)の社参以来、67年ぶりのものでした。

そのころ、幕府は内政・外交ともに問題が山積、その権威が大きく揺らいでいました。

そこで、「天保の改革」の実行者である老中・水野忠邦が、幕府の威信を回復し改革をやりやすくするために、盛大に社参を行ったと言われています。

準備はすでに前年から始まっています。天保13年(1842年)2月に公式発表されましたが、実際の準備はもっと早くはじまっていたのは言うまでもありません。

質素倹約を方針にしていた天保の改革の最中であったので、社参の費用はできるだけ少なくする方針でしたが、実際は巨額の費用がかかりました。

(「広報うつのみや」より抜粋)
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